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自分がネット人間に成って仕舞ったせいか、インターネットに関する話題が
多く成って仕舞うが勘弁願いたい。今回は少しばかり、インターネットチャット
の人々の利用状況を見て感じた事を語らせて貰おうかな。 チャットとは、インターネットでリアルタイムに遠くの人と話が出来るもので、 基本的にキーボードから文字を打ち込み、それが相手に送られて、 相手はそれを見て又メッセージを返すといったものだ。 大抵メッセージが相手に届くスピードは数秒で、電話よりは会話のペースは 数段スローに成って仕舞うが、自分を明かさなくてもいい、また、 全然知らない人とも話が出来る、国内と国外の境がないなど、利点も数多く存在する。 アバターといった、チャットの世界での自分の分身を使ったものも存在する。 現実の自分とは違う自分を、現実とは違った世界で楽しむわけだ。 結論から先に言うと、今日のチャットは凄まじく恐ろしい。 嗚呼、世も末かな。テレクラのインターネット版と云っても過言ではなかろう。 特にそういった傾向が強いのがMicrosoft社のNetMeetingだ。 NetMeeting(以下NM)は、個人情報を載せて、それを公開し、相手のコールを待つ と云った形式を採っている。つまり、自分の名前(またはニックネーム)と、 住んでいる場所、国、それにコメントを加えた個人情報をNMを使っている人全員に アピールして、話し相手を待つのだ。つまり、自分をひらすらアピールしつつ、 それに応じた人がコールの要求をしてくるわけだし、また相手のひたすらな アピールを見てコールをする事が出来るのだ。 コメントの部分は自分の好きなことが書き込める訳だから、 どういった展開になっているかは御想像の通りだろう。 それ以外にもNMがこの様な状況に成って仕舞った理由が幾つか有る。 NetMeetingという名前の通り、元々インターネットで会議をするように造られたらしく、 このソフトは文字だけのチャットではない。文字で話が出来るのは勿論、 音声もサポートしているのだ。もしお互いの通信回線の状況がそれなりならば、 電話と同じ感覚で話が出来て仕舞う。加えて、NMは、ファイルの送受信が出来る。 これは外のチャットにも良くある機能だが、どんな写真なども送れて仕舞うと云うことに 他ならない。まだ有る。カメラをパソコンに繋ぐと映像も送れてしまうのだ。 テレビ電話が見ず知らずの人と出来るのだ。もうこれは、 会議をしろと云うより、異性を探す為に使ってくれと言っている様なものだ。 外にも、作業が同時に出来たり、絵を描けたりなど、 さまざまな機能をサポートしている。 しかし、NMがこういった状況になっているからといって、 そういう人たちを非難しているわけでもなく、NMを非難しているわけでもない。 たまたま、異性を探すのに便利な機能が備わっていただけだ。 NMだけでなく、チャットではどこでもそういった傾向があるのは事実だし、 人間も動物なのだから。と言うと、論が終結するのだが、 元々、出会いを求めるとは、言い換えれば異性を求めることだ。 異性より同性との出会いを追求したいと思う人もいるだろうが、 多数派は異性を探すことの方により多くの努力をする。ただ、 媒体がインターネットというものに委ねられているからといって特別なものではなく、 起るべくして起った状況だ。今の時代、インターネットは特別な手段では無く、 ごく日常の当たり前の存在になって仕舞った。 そんな時代、インターネットでの出会いや、お見合い、結婚なんかがあっても、 全然不思議ではないのかもしれない。 本屋に行き、片手にインターネットの雑誌を取り覗き込んでみると、 丁度インターネットでの出会いについての記事があった。 インターネットを利用した、出会い、恋愛、不倫、結婚、などの事をまとめた 特集が載っていたのだ。もうインターネットでの出会いや恋愛は常識であり、 大衆もそういった事を求めているという事実が、この特集を見て感じ取れた。 自分もインターネットでの出会いに関心はある。不倫や結婚なども起こり得るとおもう。 自分にとってのベストパートナーだとおもう人があらわれることも有るだろう。 しかし良く考えていただきたい。たとえ相手の詳細を知ったとしても、 それはチャットでの出会い。チャットやメールでは精神論が飛び交い、 相手の良い面しか見えないこともしばしばだ。 インターネットで知り合った人と、 インターネットでだけ付き合うのなら何も言わないが もしあなたがインターネットで知り合った人と実際に会ってみたいと考えるのなら、 よほどの覚悟が要るだろう。顔を見ていなければ、どんな人だか分からないし、 たとえ写真を見たとしても、写真とはかけ離れた人物かもしれない。 メールやチャットでは甘い文句をささやき、優しさにあふれたいい人に思えても、 実際に会ってみるとちっぽけな人間かもしれない。 合うことになった時は、こういった事は覚悟している筈なのだが、 ショックを受けたりすることもあるので期待しすぎずに会うのが望ましい。 結婚を考えるのなら、インターネットでの付き合いを卒業して、 身近に相手を置いて暫く付き合ってから決めた方が身の為だ。 厳しいことばかり言っているかもしれないが、インターネットでの出会いは、 本当にインターネットをやっててよかった、と思えるような出会いは、 ごく僅かであるということを肝に銘じておくように、と伝えたい。 僕の中でインターネットは生活の一部に成って仕舞った様だ。 インターネットで知り合い、実際に会った人も、もう50人ぐらいになるだろうか。 オフ会というものに参加すれば、多数の人と出会えるが、 個人的な付き合いをしている人もかなり居る。 実際に僕が出会った人はいい人ばかりだった。有り難いことだ。 チャットがテレクラ状態になったことに対して、何の疑問もない。 何の抵抗もない。しかし、人間として、 汚くならない程度に異性探しが出来ないものか。 NMのils4サーバーを覗いていると、少し本能の部分をさらけ出しすぎだと感じる。 ごく普通に、ごく普通のチャットを楽しんだ方が、 深い付き合いが出来る異性に出会える機会が多いのに。 僕はいつもそう感じているので、こんな事を書いてみたりした。 |
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人間で、一生寝ずに過ごせる人は居ないだろう。いや間違い無く居ないはずだ。
人間は、一日何時間かの睡眠を取らないと生きていけない事は、
誰もが身を以って知っている。誰もが眠くなるという症状を伴い、
布団やベットの中に身を埋めて、一日の疲れを癒すものだ。
人により睡眠に対する意識は違うだろうが、必ずどこの誰でも、
隣のおじさんも、奇麗なお姉さんも、大会社の社長も、
20年ほど音信不通の友人も(生きていればの場合だが・・・)、
寝ると云う行動を私たちと同じように経験しているのである。 世の中には、不眠症といった自分の意志で以っても眠れない方たちも居るようだ。 私はその様な経験をした事が無いからこの様な書き方をするのだが、 私に言わせてみれば、すごく可哀相な人たちである。又同様に、 夢をあまり見れない方も、残念な人だなぁ、と思う。 忙しくて徹夜しなければ成らない。今日は寝れない。こんな事になったら、 私は今すぐ、誰にも邪魔されずに眠れる所に逃げ出したく成る位だ。 そう云う人達は本当に残念で、私の幸せを分けてあげたい気持ちになる。 私は毎日のように夢を見るし、毎日のように夢の中も現実世界と同じように 楽しんでいるのだから。 此処でなぜその様な人たちを哀れんだ(語弊が有るかもしれないが)かと云うと、 私が、起きている状態よりも寝ている状態を重んじる人間だからである。 題名もそれらしく書いてあるが、私に言わせれば、寝ている状態が睡眠状態、 逆の起きている状態がノット睡眠状態と言える。起きて、人間として行動して いる空間や時間軸などの歴史よりも、睡眠中の夢の空間や時間や物語などが 楽しくてたまらないのだ。 こんな事を書いてしまうと、私の事を変な人だと、そう思う人も少なく無いはずだ。 何しろ、あからさまに夢の方が現実より面白い!って書いているのだから、 普通の精神状態ではないだろう。精神的に少し障害を持っているか、 もしくは現実逃避の症状の現われだとか、なんたらかんたら症候群とか たいそれた病名を付けられ、精神病院に抱え込まれる危機さえ感じられそうだ。 他人には好きなように言わせてあげよう。私も好きなように、 自分の理論を述べているのだから、それほど問題ではない。 実際、私は現実逃避気味な処が有ったりもしたが、その時は自分でも自覚していたし、 今もそう云う症状を引きずっているとは、とても言い難い。 分布曲線の波に乗るような一般人ではないと思うが、 今は精神に異常な点など、どこにも無いだろう。 少し話が横道にそれてしまったが、重要なのは「睡眠」ではなくて、 「夢を見る事」である。もう少し掘り下げて云うと、夢を現実世界と同様に楽しむ事 と言えよう。つまり私は、現実世界も楽しみつつ、夢の世界も現実世界と同様か、 もしくはそれ以上楽しんでいるのだ。分かって頂け無いかな? 睡眠中に見る夢と云うのを、私なりに説明させてもらうと、 「現実ではないが、現実と同じように感じられ、 現実より奇妙で、現実より貴重である」と言えるかな。 ここでまたもや、読者が引いていくのが感じられるが、ここは私の独断場、 話を続けさせて貰おう。 何度も云う様だが、やっぱり私と同じように夢を共有でき無い人は、 可哀相である。現実を十二分に生きていけないのでは無いかという不安さえ、 他人事ながら感じてしまう。私の中では、寝ている状態の脳が見ている、 一般に夢と云われるものは、それはそれは現実よりもかなり重要視している。 私は、夢の中で、「此れは夢だ!」と気付いた事は、生まれてこのかた、 一度しか経験した事が無い。つまり、普通に夢を見る人と同じ夢の見方だ。 それが夢だという事は寝床で起きたときに初めて気付くのであり、 「くそっ夢だったのか」、「あー夢でよかった」と、口ずさんだりもする。 然し、一つだけ言える事が在るとすれば、いつも夢を楽しんでいる事である。 たしかに、夢を見ている人が、それが夢だと分かれば、自由に自分の夢を 操作する事も可能だろう。聞いた話によると、実際そう上手くいかないらしいが。 然しまぁ、夢だと気付かない人よりは楽しいかもしれない。私は、気付かない。 いつも、夢を現実だと思って、夢の中の空間を過ごして居る。 夢の時間を過ごして居る。起きたときはいつも、楽しかったと思う。 現実世界に戻されても、夢の中での出来事が懐かしい。なぜか? それは私が現実を楽しもうとしてるからではないだろうか? 現実を楽しもうとしているから、夢の中で夢と分かっていなくて、 現実で起こりそうな事でも、楽しむ事が出来る。 私の夢はいつだって楽しい。スパイに成った事も有るし、銃を持った事も有るし、 銃で撃たれた事も有るし、UFOを見た事も有るし、宇宙人に会った事も有るし、 もっと現実的なものなら、友達と喧嘩したり、知らない人と恋をしたり、 まさに起こりそうな状況が頭の中で描かれ、それを自分は現実だと思い、 一生懸命に行動している。朝起きたときに思う事といえば、 「ほぅ、自分はこういう立場に立ったとき、こういう行動をとるのか」と 自分の事を省みたり、 「あのとき、先にあれをやっていればよかった。」と現実同様反省したり、 「そうだったのか。こうすればいいんだな。」と、現実世界に役立てたりと、 決して夢を軽視していないのだ。 起きて現実世界に戻ってみれば、それは自分の体が布団の中でじっとしている時に 脳が気まぐれに私たちに見せてくれた、それは現実では無い 夢という気まぐれな物語に成ってしまうのだが、 私達が夢を見ている間は、それはまさしく自分にとっては現実なのであり、 夢などとは微塵も思っておらず、現実と同じように見て聞いて考えて 行動している。此処が重要なのだ。この夢だと気付いていない夢の中で、 あなたはどれだけ夢の中の現実を楽しんでいるかという事である。 ゆえに、夢を楽しめていない人は現実も楽しめていないのではないかと思うし、 また夢の中で現実では体験できないような事を経験できない人は、 可哀相だと思うのだ。僕は夢の方を楽しんでいる事は書いたが、 勿論現実世界も楽しんでいるのである。此処で引いていった皆さんも理解して 頂けたのではないだろうか。 私が思うに、夢だと気付いていない時の夢は現実と同じであろう。 実際には起こりそうも無い事が起こったりするが、 私達は現実と同じ様な行動をとっているのは確かだ。 あなたはどれだけ自分の脳が作り出してくれた環境を楽しんでいるだろうか? 夢だと馬鹿にしてはいけない。夢は、私達が現実だと思っている現実で、 よりよい生活が送れる様にと、寝ている間に仮想現実を体験させてくれているのだ。 もう此処まで書いたら、睡眠状態を重んじる私の考えを理解してくれた人も居ると 思うが、ノット睡眠状態ももっと楽しむべきだと、自分自信思っていたりする。 最近になって、又現実逃避の傾向が出てきたのか、ふと考える事が有る。 睡眠状態の夢の中の現実と、ノット睡眠状態の私達が現実だと思っている現実、 果たしてどちらが本当の現実なんだろうか? |
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